神聖さとは

神聖なもの という言葉のイメージから、

今までは、


何か厳粛なもの 

一筋の曲がりも許されないもの

形式を一から十まで全て守るべきもの

欲の一切を排除するもの

真面目さ

修行的なことを必要とされる


みたいなイメージを持っていました。


しかしいろんな体験、実感から、

神聖さ とは


軽やかさ

明るさ

遊び

動き

胸いっぱいの喜び

安心

許すこと


と、そういったことに宿っている性質が

神聖さ

なのだなと感じています。


それは誰もが求めることで、

実はすごく簡単なことで、

「やりたいように、やればいい」。


はずなのですが。

案外、それをやるのは難しい。


生まれながらに、人間は、神聖な存在です。

生まれたばっかりのときは。


しかし三次元世界には、

神聖さを忘れるための、様々な仕掛けが存在します。


学校教育であったり。

家庭、地域などの環境。

文化。

習慣。

常識。


そういったものに我々は洗脳され、

すっかり、神聖さを忘れてしまいます。


ついつい、難しいことを真実だと思ったり、

「ありのまま」を勘違いして「あらぬ方向」に行ったり、

遠回りして自分の本音がわからなくなったりして


神聖さから離れていくように、

この、三次元世界は出来ている。

そういう誘惑に満ち満ちている。


だから結局、誰もが求めるところの「神聖さ」にたどり着くためには、

ある種の努力が必要。

三次元的な「苦しみに捕らわれない努力」ですな。

軽やかな魂の世界から、地球に舞い降りた私たちは、

強靭な意志の力で、

喜び、平安の世界に到達する必要があります。


それは、数多の宗教的教えの末端(教えの大元ではなく、真の教えに未到達と思われる人間によって「作られた」教義)で言われているように、

欲望を抑えよとか、毎日必ず祈れとか、

それを文字通り実行することではありません。

(実行しても良いですが)


神聖さとは、究極の喜び

溢れ出る喜びそのものに圧倒され、

もう、本当に何もいらなくなるし、

大自然、宇宙、神への感謝の祈りが止まらなくなるので、

自然と、数多の宗教の教えを実行することになります。

Crystal Sound

祈りと癒しのための音楽 クリスタルボウルと 調和の周波数による音

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